既刊書籍の電子化契約書を読み解く(1)

 Twitterでのコメントを中心に、ちまたでは“既刊紙書籍”の著者に送られた“電子書籍に関する契約書”に関することで話題沸騰しているようだ。現在出版社が著者に送っている契約書において、いくつかポイントがある。

まず、印税15%というもの。これは、拙著『電子書籍元年』でも指摘しているが、現在の出版社の状況を変えなければ、この程度しか出せない。“現在の状況”というのは、出版社の人件費やその他経費を現状のままで維持しようとすれば、ということである。しかも、この計算は、あくまで新規に電子書籍を発行する場合に限ってのことだ。

しかし、今回の契約書はあくまで“既刊紙書籍”についての契約書である。電子書籍を制作するうえで必要な経費は、著者に制作費(初版印税)を支払わないとすれば、DTP費+デザイン費+デジタル化費である。“既刊紙書籍”についていえば、すでに制作したものを電子化するわけなので、DTP費+デザイン費は必要ない。デジタル化の費用のみが新規にかかることになる。しかし、よほど古いものでなければ、90年代後半以降に発行された書籍はデータが残っている場合が多い。また、そうでなくてもスキャニングという手段をとれば、多少の読みにくさがあるとしてもデジタル化は可能だ。それらの費用は、DTP費+デザイン費に比べても定額であろう。

であれば、既刊紙書籍であれば、印税15%以外に30%程度の配信料がかかるとしても出版社には少なく見積もっても50%程度が入ってくる。これを多いと見るかどうかが、今回、問題の焦点になっているわけだ。

現状の出版社社員の待遇を極端に低くすることは簡単ではない。労働組合との交渉も簡単なものではない。であれば、出版社は現在の状況を維持できる数字を出してくることは容易に想像できる。また、来たるべく電子書籍のみの出版を考慮すると、電子書籍の印税を高値に印象づけたくはないという思惑もあるだろう。それぞれを勘案すると15%という妥当な数字が出てくるわけである。ここには著者のことを慮った論理はない。

アゴラブックスが、なぜ印税50%にできるのか? これは「著者に印税を50%支払う」というところからビジネスが始まっているからとしかいえない。つまり、そこから始まって、著者に印税50%支払うためには、スタッフの人件費含め、あらゆるところでコスト削減をして、なんとか会社として維持できるようにビジネスのコスト構造を組み立てているわけである。まずは「無から有を創り出すクリエイターに50%の印税を支払う」ことありきなのだ。

それらの仕組み作りをいま現在も試行錯誤しながら作っている状況である。もちろんこの印税率でやっていけるという手応えも感じつつあるが、当然将来的にはどうなるかわからないのも現実だ。日々スタッフが努力していることはたしかである。

ポイントは、あと2点ほどあるが、それは次回に書くことにしよう。


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1日は24時間しかない!(2)ー 読書の理由

 我々は24時間中、睡眠時間を削った18時間で、いったいなにをするのか? できるのか? 毎日日常的におこなうことと言えば、仕事、勉強、食事……働いている人であれば、仕事の時間が大半を占めるだろうし、学生ならば勉強だろうか。その他“可処分時間”は、スポーツ、テレビ、ゲーム、読書といったところか。

そのなかで読書の占める割合をいま一度確認してみたい。

スポーツをほぼ毎日やっている人は、文部科学省の調べ(PDF)では約10%くらい。テレビの視聴は、NHK放送文化研究所の調べでは「テレビ視聴時間は、1990年以降“2時間以下”の人が減る一方で、“4時間以上”の人が増え、全体として長時間化している」そうだ。ゲームもこれだけiPhone&iPadアプリが普及し、ソーシャルネットワークゲームなども1日30分以上遊ぶ人が4割近くいるのであれば、読書に振り分けられる時間も少なくなるというものだ。では日本人は、いったいどのくらい読書をしているのだろうか。

9月17日に文化庁が発表した「国語に関する世論調査」(PDF)のなかに雑誌などの購読についての調査がある。調査は今年2月におこなったもので、「ふだん雑誌を読む」と答えた人は40.6%だったという。20代の56.6%をピークに30代、40代と歳をとるにつれてその比率は下がっていき、60歳以上では33.3%となっている。一方、「ふだんWebニュースを読む」と答えた人は、上記と同じ40.6%だった。ただ年代別では大きく異なり、20代の72.8%のピークから60歳以上の14.1%までとなっている。 
 
偶然にも雑誌を読む人とWebニュースを読む人の割合は40.6%と同率だったが、過去と比べるとその変化には違いがある。雑誌は2006年の43.9%から3.3%の減少、Webは32.1%から8.5%の増加なのだ。Webの増加率のほうが2倍以上高い

他方、書籍はどうか? 2009年3月に同じく文化庁が調査した結果では、「雑誌や漫画を除いて1か月に大体何冊くらい本を読んでいるか」を尋ねた回答では、「読まない」と答えた人が46.1%、「1〜2冊程度」が36.1%となる。合計すると82.2%の人が2冊以下ということになる。

そもそも我々はなぜ読書をするのか? 勉強やビジネスに必要だということあれば、小説など余暇を楽しむためというのもあるだろう。しかし上記のように約8割の人が月に2冊も本を読まないのだ。これは集中できる時間が取れないという理由もあるだろう。日常生活では、電車やバスを待つ間や信号待ちなど、細切れな時間がいくつもある。その細切れ時間に素早く取り出して見ることができるのが携帯電話なのである。そして、電車やバスが来ても止めることなく読み続けているのが実情だ。

以前ならば、電車やバスの移動中などまとまった時間があれば本を取り出して読んでいた人がいた。しかし、現在では細切れなスキマ時間に携帯コンテンツが浸食していき、続くまとまった時間にまで浸食している。

スマートフォンの普及で、画面での文字が読みやすくなり、ますますこの状況に拍車を掛けるだろう。であれば、同じ端末で読む電子書籍が普及しない理由もない。ただ、わざわざバッグから取り出すということを考えれば、書籍専用端末は本と同じなのでよほど読書好きでなければ購入には踏み切れないともいえる。上記データでいうと、残り2割の人々が“読書好き”なんだろう。

そういう意味からいえば、汎用端末は電子書籍以外の楽しみもあるのでまだ普及しやすい。とくに携帯電話であるスマートフォンが手軽さでは勝負ありだ。iPhoneは現在400万台近く販売されている。これからもアンドロイド端末などさまざまな種類が発売される。

そこで必要なのが魅力的な電子書籍コンテンツだ。アンドロイド端末での電子書籍販売インフラはこれからの整備だが、魅力的なコンテンツはスキマ時間に消費されていくだろう。今年のガラケーでの“電子書籍”の売上高は600億にまで手が届きそうだ。いまさら「大切なのはコンテンツ」と言ったところで仕方がない。されどコンテンツなのである。魅力的なコンテンツがあれば電子書籍の売り上げも伸びていく。

にもかかわらず、次世代端末用のコンテンツに関してはシャープが「TSUTAYA GALAPAGOS(ツタヤ ガラパゴス)」を発表したものの、その他目新しい発表はない。いまはまだ出版社も著者・作家も暗中模索といった状態だろう。電子書籍だけで勝負するには及び腰といったところだろうか。そもそも「儲かる」ビジネス・スキームがない。著名な作家が電子書籍だけで発行した例が極々わずかということからもよくわかる。

おもしろいコンテンツ、ためになるコンテンツさえあれば、本を読むことがもっと“可処分時間”に費やされてもいいはずだ。しかも読書のみが自分で時間をコントロールできる。映画や音楽、テレビなどは短時間で消化しようとしても難しい。録画したテレビ番組をスピードアップして視聴できる録画機もあるが、せいぜい倍速がいいところだろう。音楽を倍速で楽しむ人もいない。しかし読書は訓練次第で速く読むことができる。実用書などでは“フォトリーディング”という技術を身につければ、超速で読むこともできる。これは電子端末であれ可能だろう。

だれもが1日が24時間しかないからこそ充実した時間を遣いたいと思う。それには価値ある読書こそがもっとも濃い密度で遣えるのではなかろうか。スキマ時間を意味なく消費するのではなく、良質な電子書籍に遣いたい。それには良質なコンテンツを生み出す電子書籍のビジネス・スキームが必要だ。


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1日は24時間しかない!(1)

 どんなに文明が発達しても科学が進歩しても変わらないことがある。それは、人間がアナログであり続けること、1日が24時間であるということ。アナログとデジタルの解釈、1日のカウントの仕方が変わらない限り、これらは変わらない。たとえ、アナログの解釈が変わろうとカウントの仕方が変わろうと、400万年前に出現したと言われる人類において、いまもって変わらないのであれば今後も変わっていくことはないだろう。

 そして、人間がアナログである限り、寝なければ生きていけない、食べなければ生きていけないわけだ。また、1日が24時間しかないとすれば、少なからずそれらの行為に時間をとられるので、実際に利用できる時間は24時間未満だ。1日6時間の睡眠をとるとすれば、残りは18時間というわけである。ただし食事は、仕事しながらでも勉強しながらでも採れるので、好き嫌いは別にして、究極にはたとえ追い詰められた状態でもアナログな人間にとって他の時間を浸食するものではない。

 睡眠以外の残りの18時間の使い方が、年を追って変化しているのは、読者のみなさんもおわかりだろう。原因は、年齢による生活習慣の変化もあれば、身のまわりの環境の変化にもよるところも大きい。とくに1960年台のテレビの普及、70年台後半の家庭用ビデオデッキの普及により、急速に我々の時間はこれらの視聴に費やされるようになっていった。ここで、本を読む時間が少なくなったことは想像に固くない。一方のラジオや音楽は、いわゆる“ながら聴き”ができるので、集中できるか否かは別にして、我々の時間を大きくとられることはない。しかし、一度に複数のものを見ることができないことを考えれば、同時に本を読む時間が少なくなっていったのも仕方がない時代の変化ではあった。

 同様にインターネットの出現は、我々の時間を奪っていった。まぁ、能動的に見るわけなので我々の意志で時間を費やしていったのではあるが……。
 90年代はネット回線も遅く、それに伴いまだまだコンテンツもリッチではなかった。しかし、年々回線は速くなり、接続料も低下し、コンテンツもリッチになっていった。2000年を超えYoutubeの出現により視聴できる動画コンテンツも無数に増え上質なものも多くなり、我々が心から楽しめるものも少なくない。接続料を支払ってはいるがコンテンツはほぼ無料だ。

 さて、そうやって18時間が浸食されていくわけだが、当然のことながら、社会人であれば仕事をし、学生であれば学校に行き、アルバイトなどもすれば、ますます“可処分時間”はなくなっていく。しかし人々は、自分の可処分時間の使い方には優先順位を付ける。どうしても人との会話がなければ、生きた気がしないのであれば食事や喫茶に時間をかけるだろうし、趣味が必要であれば、それに時間を使う。

 とはいえ、経済状況が悪化している昨今、なによりも優先することは、お金をなるべく掛けないことだ。お金が掛かることで我慢できるのであれば我慢する。
 食事であっても、昼食は500円以下が当たり前、コンビニ弁当や牛丼ですます。夜も自宅で食べる内食か、デフレのおかげで価格破壊的に安くなった1品200円台でツマミがそろう激安居酒屋で友人と食事をし、一人2000円程度遣って帰宅する。家に帰れば、テレビかネット、無料オンラインゲームで十分寝るまでの時間を潰すことができる。
 たとえ本を買うとしてもブックオフで105円コーナーから見繕う。となれば、ますます新刊本は売れないし、雑誌も立ち読みや回し読みですます。そんななかでの『電子書籍元年』なのだ……。

次回(2)に続く


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